よるのゆめ

 

 

 

 

 

 

 

自分は今年の2月20日に一度死んだ

 

丁度卒業式の一週間前だった

 

 

卒業という行事はあまりにも単純で簡単で全てを終わらせるには本当に都合が良かった、大人になるのは20歳だけども高校を卒業してしまえばきっともう周りは大人になっていた、本当に大人になっていたかは分からないけれど、愛していた時間、子供でも大人でもない恥ずかしくてもどかしくて思春期という簡易本棚みたいな場所にひとまとめにするには脆すぎるあの言葉や感情には、自分が最も愛していたあの時間には、もう戻れないと思った、

 

どうせ死ぬなら夢も希望もいっぱいで未来の選択肢が山ほどある高校生の内に死のうと思った、抱えきれない程ある感情や、言葉にできない言葉をこのまま抱えて死のうとした、永遠にそこで自分が自分でいる為に死のうとした、

 

仮卒の期間同級生達は車の免許を取り髪を染めピアスを開けアルバイトをして貯めたお金で某テーマパークに行きSNSでは地獄のような風景が流れていた、その間自分は何もしなかった、友達と遊ぶこともバイトをすることも何もしなかった、余ったバスの定期を使って一日中バスに揺られていた、たまに絵を描いた、下手くそな詩も沢山書いた、お花屋さんに通った、飲めないコーヒーを残した、流れる景色を横目に漠然とした不安や死と向き合っていた、なんでもできる気がした

 

大人になるには言葉をできるようにならなければいけない、と誰かが言っていた、自分を発信していくには言葉ができないと何も始まらなかったり共感することができないかららしい、でも自分はそれを出来るようになっていく自分が凄く凄く凄く大嫌いだった、床に散らばったままの本を本棚に無理やり並べていくみたいで、一つの棚に無理やり色んな本を詰め込むみたいでそれが凄く嫌だった、少しづつボキャブラリーが増えていくのが怖かった、何もかもが怖かった、綺麗だね、楽しいね、面白いね、という広い範囲の言葉がどんどん絞られていくのが怖かった、ずっと綺麗だね、楽しいね、面白いね、のままでいたかった、痛かった、 曖昧さに感動する日常を愛していた

 

1日1日卒業式が近づくにつれ大人になることに対する恐怖が覆いかぶさってきた

 

見えない恐怖と葛藤する自分に大人は薬を差し出した、良くなるようにと、純粋に今を生きている自分に病名を付けた、湧き上がる感情を止める薬、夜の音や早朝霧がかった空を見ることができなくなる薬、言葉や色が見えなくなる薬を与えた、

 

社会から見ればひねったままの蛇口から出る水がコップから溢れ続けることは異常なことだろう、蛇口を閉められないことはおかしいことだろう、実際に水の色や量で病気と判断されることも多い、理解されることもとても少ない、確かに自分にとっても蛇口から出る水をコントロールできなかったり泥水が出てきたり熱湯が出たせいでコップが割れてしまったりすることで生きづらかったりもどかしかったりやり切れなくなることが多い、だけれど、だけれども、自分は、自分は、自分だけの色は、自分だけの色があるのにそれを無理やり薬物で止めてしまうのが、止めなければいけないことを受け入れられなかった、怖かった、 何もなくなるのが、 誰も悪くないのは分かっていた お母さんだってお父さんだって友達だって、

自分だって、

 

 

表現者と障害者は紙一重か、

 

 

 

病む病んでないではなく、どんな形であれ単純に感情一つ一つを守りたかった どれだけ叫んでも誰にも伝わらないかもしれないけれど精神障害という言葉で一まとめにされてしまうかもしれないけれど私は私が愛したものを守りたかっただけだった

 

 

 

 

 

絵が描けなくなった

 

 

今を生きる、それ以外できない自分が居た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市販薬を300錠以上飲んで死のうとした、死のうとした、というより心停止して一回死んだ、だけど人工呼吸と心臓マッサージで生き返ってしまったらしい、よくある話だけど目が覚めたら知らない天井だった、医療ドラマでよく出てくるICUに自分が居た、ガラス張りの向こうに知らないおじいちゃんがたくさんのチューブにつながれていた、自分もたくさんのチューブにつながれていた、

 

 

自分は今年の2月20日に一度死んだ

 

丁度卒業式の一週間前だった

 

 

 

 

 

 

 

卒業式には出なかった

 

卒業式に出なかった自分は卒業できたのだろうか、そんなことを考えながら今日も増え続ける不安やもどかしさをパネルにぶつける、

 

 

 

 

そんな、よるのゆめ